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歴女に人気!沖縄の観光スポット7選

かつて日本とは異なる文化であった琉球王国。現在の沖縄県全域を統治していた琉球の国は、他国から学んだ技術で独特な文化を発展させ、今も大切に受け継がれています。歴史好きの“歴女”にとってはたまらない魅力を感じさせてくれるはず。日本の本土では観られない特異的な文化を巡る旅へ出かけてみませんか。

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琉球王朝時代の歴史を巡る!

琉球諸島の島々を統治し、一時代を築き上げた「琉球王朝」。多くの歴史的建造物は先の大戦で失われてしまいましたが、再建され後世に残されているものもあります。沖縄の歴史を知るなら、まずは琉球時代から。かつてこの島がどのように栄え、どのような文化を持っていたのか、知る旅を始めてみましょう。

①首里城

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言わずと知れた、沖縄の人気観光スポット「首里城」。戦前より幾度となく消失と再建を繰り返し、今日の首里城が建っています。那覇市の首里一帯は、小高い丘の上にあり、市内を一望できるほど見晴らしの良い場所。当時の琉球王は、ここ首里の土地から、貿易の盛んであった那覇港など市内を一望していたようです。

首里城で目にしておきたいスポットは、二千円札でも描かれた「守礼門」、朱の佇まいが絶好の風景となる「正殿」、時間を計った「日陰台」、貿易が盛んであったことを示す「万国津梁の鐘」、さらには国王の休憩室であった「奥書院」など。様々な意味をもつ複数の門も見逃せません。首里城全体が歴史をたっぷりと感じられるスポットになっています。

首里城
住所:沖縄県那覇市首里金城町1-2
問合せ:098-886-2020

②玉陵

 

尚円王(しょうえんおう)を埋葬するために1501年に建設された「玉陵(たまうどぅん)」。後に第二尚氏王統の陵墓となっています。戦時中に被害を受けたものの、戦後の復興期に修復が行われ、昭和47年に国指定記念物史跡に指定。さらに2000年には“琉球王国のグスク及び関連遺産群”として世界遺産登録されています。

世界遺産として認められた玉陵のみどころは3つ。初めに訪れたい「玉陵奉円館」は、玉陵の内部模型や1934年の葬儀写真が残されています。さらに玉陵に入る人の規定を記した「玉陵碑」、玉陵の管理事務所であった「東の御番所(あがりぬうばんじゅ)」など。琉球王の最期がどのように締めくくられたのか、ここで感じ取ってみてください。

玉陵
住所:沖縄県那覇市首里金城町1-3
問合せ:098-885-2861

③識名園

識名園

首里の町からほど近い那覇市内に建設された、王家の別邸「識名園(しきなえん・シチナヌウドゥン)」。ここは、他にある別邸の中でも最大であり、第二尚氏王朝時代に建設が始められたとされています。王家の保養や、外来者の接待に用いられたとされ、園内は素晴らしい景色を巡ることできる“廻遊式庭園”となっています。

昭和16年に「国指定の名勝」となるも、先の大戦にて大破。その後復興され、2000年に“琉球王国のグスク及び関連遺産群”として世界遺産登録、「国指定の特別名勝」にも指定されています。現在見られる姿は、20年ほどの歳月をかけ、平成8年に復元された姿になります。日本庭園とは異なる趣の庭園「識名園」をぜひ鑑賞してみて下さい。

識名園
住所:沖縄県那覇市字真地421-7
問合せ:098-855-5936

④内間御殿

 

 

第二尚氏王統の始祖・尚円王が内間地頭時代に住んでいた住宅跡「内間御殿(うちまうどぅん)」。没後190年に神殿が建設され、現在の姿の基礎となりました。平民であった金丸(尚円王)が、王の位に上り詰める前の内間地頭時代の住宅とあり、琉球王朝の深い歴史を辿ることのできる場所。

内間御殿も他の建築物と同様に、沖縄戦の戦火に焼かれ、一時は消失するも、戦後期に復興・再建されています。また、国指定の文化財にも認定され、現在は夏の夜に咲く花“サガリバナ”の見られる名所として広く知られています。

内間御殿
住所:沖縄県中頭郡西原町嘉手苅51-1
問合せ:098-945-5036(西原町 教育部 生涯学習課)

沖縄戦の悲しい歴史を巡る。

沖縄の歴史を辿る上で、避けられない沖縄戦の痕跡。諸外国との貿易を盛んに行い、一時代を築き上げた琉球王朝。その後日本の一部となった後にも、琉球の人々は数々の文化を築き上げてきました。第二次世界大戦中、沖縄のほぼ全域が壊滅し、悲しい歴史が多く作られました。そんな先人達の生き様や思い、戦中の日々を知り、沖縄の歴史を学んでみて下さい。

ひめゆりの塔

 

沖縄戦の最終地のひとつである「ひめゆりの塔」。ここは、ひめゆり学徒隊となった女児学生222人と引率教師18名が日本軍の看護を行った「旧陸軍第3外科壕跡」です。今もぽっかりと大きな口を開く壕は、ここで懸命に命を紡ごうとした人々の姿を思い起こさせます。1989年には平和祈念資料館が建設され、戦争の悲惨さを後世に伝えています。

館内にはひめゆり学徒隊の写真や戦争の遺品、壕内部のレプリカなど、当時の状況が垣間見れる品が大切に保管されています。ひめゆりの塔付近には、私立沖縄昭和高等女学校の生徒や教師62人を祀る「梯梧之塔」、沖縄陸軍病院職員やひめゆり学徒隊が避難していた壕「伊原第一外科壕」もありますので、あわせて周ってみて下さい。

ひめゆりの塔
住所:沖縄県糸満市字伊原671-1
問合せ:098-997-2100

⑥平和祈念公園

 

出典:みんカラ

沖縄戦が終結を迎えた地、糸満市摩文仁(まぶに)。戦争せ亡くなったすべての人々を祀るために整備されたのが「平和祈念公園」です。園内には戦没者を祀る「国立沖縄戦没者墓苑」、50基もの慰霊の塔、戦没者名を刻む「平和の礎」、戦没者の鎮魂、さらには平和を祈るための「平和祈念像」が建っています。日本各地の修学旅行生も多く訪れる場所です。

園内の「霊域参道」には日本32府県の慰霊碑が建立され、沖縄守備隊第32軍司令官牛島中将の自決壕も存在します。しかしながら、平和を祈る公園とあり、休日には広い園内の芝の上でピクニックや運動を行う人々の平和な姿が見られます。戦没者を追悼するとともに、今に続く平和の姿も再確認させてくれる場所です。

平和祈念公園
住所:沖縄県糸満市字摩文仁444
問合せ:098-997-2765

⑦旧海軍司令部壕

戦時中、4000人もの兵士が収容されていた「旧海軍司令部壕」は、小禄飛行場の守備を行うため、昭和19年に人の手で建設されたものです。迷路のような壕は450mも続いたとされ、現在は300m続く内部を見ることができます。ここで発見された戦没者の遺骨は、すべて糸満市の平和祈念公園に納められ、多くの戦没者と同じように祀られています。

「司令官室」を筆頭に、今も自決した痕跡が残る「幕僚室」、負傷兵の部屋であった「医療室」、休息をとる部屋「下士官兵員室」などが公開されています。その他施設内には、「慰霊の塔」や遺品を保管する「ビジターセンター」、施設全体は「海軍壕公園」となり、緑豊かとなった現在の様子があります。旧海軍司令部壕もまた、悲惨な戦争の歴史を知る貴重な一部です。

旧海軍司令部壕
住所:沖縄県豊見城市字豊見城236
問合せ:098-850-4055

歴女なら押さえておきたい、沖縄の観光スポット

いかがでしたでしょうか。今回は、沖縄の歴史を辿る観光スポットを7つご紹介しました。一国の琉球王朝として繁栄した時代も、第二次世界大戦で激戦地となった時代も、どちらも同じ沖縄の土地で起こった出来事です。本土とは異なる歴史を持つ沖縄では、今まで知らなかったものに必ずめぐり合えることでしょう。ぜひ沖縄の歴史を巡ってみて下さいね。

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